2018.10.7 ozawa

浅草橋・鳥越に天文台があった。伊能忠敬からのメッセージ

 

 

 

印刷・WEB・ITで
お客様の「伝えたい」をデザインする会社
ヂヤンテイシステムサービスの小澤です。

 

10月というのに、
本日の東京の最高気温は32度。
真夏ですね。

 

素肌に夏の陽気を感じようと、
しまったばかりの夏物の
服を取り出しました。

 

3連休の真ん中なので、
通勤電車もがらがら。
気持ちに余裕があったからか、

 

急に伊能忠敬のことを思い出しました。

 

当社のある浅草橋に、
江戸時代の天文台跡の案内板があります。

 

 

浅草橋駅から浅草方向に5分ほど歩いた
蔵前1丁目交差点のすぐ近く、
鳥越神社にも近い場所です。

 

幕府の天文台がおかれていたのが
この一画だったようなのです。

 

葛飾北斎の「富嶽百景」の、
「鳥越の不二」に、富士山を背景に、
天文台の器具が描かれています。

 

ファイル:Hokusai, Fuji at Torigoe.jpg wikipedia

 

伊能忠敬が50歳の時に、
故郷の佐原(現千葉県香取市)を去り、
江戸に出て、

 

天文・暦学を学んでいたのが、
浅草天文台だということは知って
いたのですが、

 

浅草天文台というからには、
現在の浅草駅の近くだと
想像していたところ、

 

会社のすぐ近くだったことが分かり、
この案内板を発見した時は衝撃でした。

 

当時、伊能忠敬は、
自宅のあった深川から、
浅草天文台までの直線距離を正確に測り、

 

両地点の緯度の違いから
地球1周の距離を計算しました。

 

ちなみに、
この両地点の緯度の違い0.025度、
直線距離約2km半、
としたそうです。

 

200年前、伊能忠敬が
当社の周りで活躍していたと
想像しただけで、わくわくしました。

 

伊能忠敬は、緯度の違い0.025度
では満足できず、
地球1周の距離を知りたいがために、

 

幕府の思惑と重ねながら、
蝦夷地の測量に出かけます。

 

実測で、地図を作ることが目的なので、
歩いて測量をする。

 

そんな果てしない最初の測量に
出かけたのが、
伊能忠敬56歳の時です。

 

蝦夷地の地図の仕事が
幕府に認められ、

 

伊能忠敬は、その後全国を
測量し地図を作ることになります。

 

測量旅行10回、
第9次の伊豆七島測量を除いて
全測量に従事したそうで、
旅行距離は3.5万km。

 

最後の測量が71歳の時。

 

日本史の学習で、
伊能忠敬の名前は誰でも知っている
と思います。

 

それでも、
測量のために全国を歩いたのが、

 

人生の後期、隠居してからだ
ということを、
私は昨年まで知りませんでした。

 

会社の近くで活躍していたことを知り、
伊能忠敬の存在が身近になったのですが、

 

56歳から測量の旅に出て、
全国を歩いたことを知ってからは、
もっと身近な存在になりました。

 

私は現在54歳なので、
余計に、56歳から全国歩いた
ということが信じられません。

 

この話を知った時は、
自分も頑張らなければ、
と素直に思いました。

 

その後、
前向きな気持ちになりたい時は、
伊能忠敬のことを
思い出すことにしています。

 

伊能忠敬は、
地図を作りたかったのではなく、
地球の距離を知りたかったのが、
測量の旅にでた動機です。

 

江戸時代なので、
地球が丸いという情報はありました。

 

しかし、本当にそうなのか、
地球はどうなっているかを、
それを実感したかった。

 

客観的に地球を眺めたかった。

 

そういう純粋な気持ちで
測量の旅に出たようなのです。

 

ついこの間発表があった、
ノーベル医学生理学賞
本庶佑教授も、

 

「何を知りたいか」が大事であって「何ができるか」に逃げてはいけない

 

と仰っていました。

 

「知りたい」ということが、
人間の原動力なんだなと
つくづく思います。

 

伊能忠敬から学ぶできは、
50・60歳になっても、
できるんだぜ
ということだけではなく、

 

お前は、
「何を知りたいのか」

 

ということだと思います。

 

これって、学者の世界の話だけではなく、
かといって、ビジネスマンが心得よ
という訳でもなく、

 

人間、一人ひとりに対するテーマ
なのではないでしょうか?

 

200年前の浅草天文台から、
今日は、こんなことを
考えてしまいました。